少し前市内を歩いて
いた時、老人に声をかけた。「なぜ下田という名前なのですか?」
「下劣な田んぼということなんだよ」 私「えっ」
以来「下田史歴」を調べ出した。
年間三万人以上の集まる海岸が「全国八十選」として指名され、隣の白浜大浜と共に国から認められている。更に13~4年前、日経新聞が海洋学者、旅行業者、水質学者等何人かを選び80ケ所の中から更に良い海岸をということで投票させたところ、全国で僅差の2位となった。一位は長崎福江島の海岸。従って本土内では堂々の一位である。その理由は海岸沿いに岩いわがあり海藻等があり、流れ込む川も綺麗なことによるのだろう。景観としても単なる砂浜でなく、岩が更に一層景観を引き立てるのでしょう。是非来て下さり、御らんください。この浜に施設から直線で約250m、少し坂を下ります。

「東宮殿下御行啓」碑が下田公園内にある。いらしたのは大正八年七月ニ七日と記されてあり、御年十八才であられた。下田公園はペリーロード少し先で、4~50メートル高さの山。
この時の思い出が後の爪木崎御所につながったのでしょう。
縄地金山。
河津町の南にあり、山すそのこちらはる下田。金のとれた山。四百年前の小判の原料である。

今は閉山した。昭和四十年初期。江戸時代6〜7千の人が住んだらしい。今の縄地
人口は何人か。多分三百前後?縄地の名前の由来は昔、測量機がなく縄を地面に張ったからだろう。
漁師達は山頂の見える方向、角度
によって海中の山を推測してそこで
魚をとる。これ等は漁師から聞いたのであるが山の名前ははるか昔から白浜の漁師達に
よって命名されたのであろう。白浜海岸の反対側に在る山。