去年の1月22日、高校時代からの親友が胃ガンで亡くなった。
彼は正月明けの生まれで68歳と10日、私は3週間早い12月24日。
賀状のやりとりをした元旦あけに、私が「お互い68になったな」という電話を掛けようと思っていた矢先に奥さんから電話が入り、
「昨日の夜遅く急に苦しみ出し救急車で入院したけど夜中に亡くなりました。」
とるのも取り敢えず東京へ飛んでいった。
「タカムラよ、俺、胃ガンだってさ。紹介されて国立がんセンターへ行ったら余命半年って云われたよ。」と、淡々と話し出した。1年半前のこと。
どうも胃の調子が悪いので医者に行ったら4段階に入っていたそうである。
手術するには手遅れで、抗がん剤と放射線治療が始まり、薬はあれこれ飲んだが替える度に医者から余命半年と云われ続けたらしい。
そして1年半経ったのだが、私は「なんとか延命できるかも」と思い始めていたときだった。
通夜と告別式の出棺まで在席し、奥さんの了承を得て帰ることにした。
遠距離でもあるからだが、それ以上に遺骨を見たくなかったからである。
今ではそれで良かったとつくづく思っている。
何故なら彼を思い出すたび、生前の顔だからである。
彼よりも2度多くいま春の体験をしている。
自然が繰り出す再生の息吹をじっと眺めながら、当地に住んでいるが、
自然のエネルギーを塔婆に託して供養したいと心底思っている。
お彼岸を迎えた3月21日の、69歳になった私の思いです。
下田白浜
サニーステップ