亡き親友のことを書き続けたい。
昭和34年に高校を卒業したのだが、その頃は未だ貧しい時代だったので浪人するなどは珍しいことだった。
同級生達も実力に見合った大学へそれぞれ合格していた。(亡友は有名な某私立商学部)
入学式迄は高校卒業から約2週間ある。
その期間を利用して自転車で伊豆半島を一周しようということになった。
5~6人である。
サイクリング車など未だなく、それぞれ普通のオンボロ自転車を調達し、荷台に米と干物と海苔を積んだ。
私のはリヤカーを引く重く頑丈な自転車で、漕ぐだけでも力のいる代物である。
持参の荷物に更に5~6人用のテントを持ってゆくから、小わけしても相当重くなる。
記念ということもあって、日本橋からスタートすることにした。
そこへ集まるだけでも皆それぞれ大変だった。
当時の日本橋は今の様に頭の上に高速道路もない時代。
1日目は小田原のひとつ手前の国府津(こうづ)の海岸でテント。
2日目は箱根の頂上にある芦の湖まで。
小田原を過ぎた当りから登りになり、漕ぐどころではなく、1日中自転車を押して歩いた。
その頃の1号線は七曲の連続でしかも狭い。(今では1日1国として残っているだけだろうか)。
清も根も尽き果てて夕方にようやく湖畔。テントを張る気力、体力もなく、客の呼び込みおじさんに連れられて、小さな安旅館。
3日目は快適だった。三島迄が全部下りだからだったからだが、1号線と分れて伊豆長岡まで辿りつき、寺に頼み込み本堂で寝た。
これには逸話がある。
その頃どういう事情か知らないが、亡友は田園調布にあるお宅の1室に1泊2食付で下宿していた。
そこへはちょくちょく出入りしていて大家さんと顔見知りになっていたが、3学期の卒業試験の最中、たまたま5人が集まり、酒盛りが始まってしまった。
私自身もそうだか皆も初めてのアルコールだったろう。翌日は古文の試験である。
飲み出す前に2学期末の古文の点数を云い合い、「お前はヤバイから明日行け。」残ったのは3人。
ぐでんぐでんに酔っ払い、朝2人を見送った後また寝入ってしまった。
11時頃だったか突然雨戸が明き、すごい型相で亡友の母親が立っていた。
「あんた達何やっているの!すぐ学校へ行きなさい。」
寝呆け眼で辺りを見廻したら誰かが洗面器に吐き、それがひっくり返って壁が汚れている。それをそのままにしてトロトロ学校へ行った。
担任の鈴木門也先生が怒った顔で仁王立ちして「お前達卒業できないからな。兎に角明日父親を学校へ寄越せ。」
翌日3人の父親が学校へよばれ、何か言われた。その内容は知らないが、帰って来た父親は何も云わず、唯ニヤニヤしていた。
無事卒業した私達は厚かましくも担任に、身分証明書を頼んだ。そして校長先生の判入りで「この者達は本校の卒業生である」との書類を持参して旅に出ていた。
それを見せて寺の住職の快諾を得たのであった。
門也さんはその2年後位に急逝され、慌てて皆でお焼香に行った。
これ以後は次回へ。
去年の1月22日、高校時代からの親友が胃ガンで亡くなった。
彼は正月明けの生まれで68歳と10日、私は3週間早い12月24日。
賀状のやりとりをした元旦あけに、私が「お互い68になったな」という電話を掛けようと思っていた矢先に奥さんから電話が入り、
「昨日の夜遅く急に苦しみ出し救急車で入院したけど夜中に亡くなりました。」
とるのも取り敢えず東京へ飛んでいった。
「タカムラよ、俺、胃ガンだってさ。紹介されて国立がんセンターへ行ったら余命半年って云われたよ。」と、淡々と話し出した。1年半前のこと。
どうも胃の調子が悪いので医者に行ったら4段階に入っていたそうである。
手術するには手遅れで、抗がん剤と放射線治療が始まり、薬はあれこれ飲んだが替える度に医者から余命半年と云われ続けたらしい。
そして1年半経ったのだが、私は「なんとか延命できるかも」と思い始めていたときだった。
通夜と告別式の出棺まで在席し、奥さんの了承を得て帰ることにした。
遠距離でもあるからだが、それ以上に遺骨を見たくなかったからである。
今ではそれで良かったとつくづく思っている。
何故なら彼を思い出すたび、生前の顔だからである。
彼よりも2度多くいま春の体験をしている。
自然が繰り出す再生の息吹をじっと眺めながら、当地に住んでいるが、
自然のエネルギーを塔婆に託して供養したいと心底思っている。
お彼岸を迎えた3月21日の、69歳になった私の思いです。
下田白浜
サニーステップ
今日(3月19日)、
素晴らしいお考えをお持ちで観光旅行にいらしたご夫婦にお会いしました。
白浜中央海岸は700Mありますが、久しぶりに海岸散歩を思い立ち、行き当りからUターンして下田プリンスホテルの前まで来た時でした。
50過ぎの女性が一人海を眺めていらしてカメラを提げていたので「お撮りしましょうか」と声をかけたら、ニコリとして「お願いします」。
それがきっかけで会話が始まり出し、遠望できる伊豆5島(三宅と神津島は霞んで見えません)を紹介、砂浜の成り立ち、地元民の生活等々。
彼女「軒先に何本も昆布が下がっていたけどあれはワカメですか」
「エーそうです。今、海草のなかにワカメが打ち上がっています」
砂を手にしてサラサラ落としながら「きれいな砂ですね」とおっしゃり、
「実は私たち夫婦はこの海岸を見て、触れたくて船橋から来ました。
明日の朝日も楽しみです。」
そこへご主人がいらしてツーショットの記念撮影。
良い思い出になることでしょう。
それにしてもあま多ある海景色のなかで、私共の海岸を推めて下さった
JTB船橋支店の方にお礼を申し上げます。
「ありがとうございます。今後も中央海岸をよろしくお願いします」
(プリンスさんも頑張ってらっしゃるようで私共もしっかりしなければ)
5時頃別れて途中、区の駐車場(季節外無料)を通ったら、30代の男性3人が急いでウェットスーツに着替えている。車の屋根にサーフボード3台。
「これからサーフィンですか。3~40分しか出来ませんね」と声をかけたら、
「私達、鎌倉から来ました。途中渋滞の連続でこんな時間になってしまいましたが、3~40分でも良いのです。こんなきれいな海ですから。」
とのお答え。
ボードを抱えておりて行きましたが、こんなファンがいらっしゃるのは本当にありがたいことです。気をつけてお帰り下さい。
22年3月19日
下田白浜
サニーステップ
半島の中心を通る414号を車で走ったときのこと。3月8日の夜11時頃でしたが、河津町から天城トンネルに向かう頂上付近で立派な角を持った鹿に出会いました。
真正面で見たのですが、角が四つに岐れていて、あんな角を持つ鹿を見たのには驚きました。
夜11時ごろに走るのは何度も経験しており、毎度ということではありませんが、度々鹿を見かけます。
多いときは5回(5匹)もみかけますが、あんな立派な鹿を見たのは初めてです。普通は角のない雌なのか幼児で、角があってもフタマタに分かれる程度です。
鹿(特に角)のことが知りたくて、バイオパークの飼育係に会って来ました。
以下は彼の受け売りです。
日本鹿は大きく3種に分かれ、エゾシカ・本島シカ・屋久(ヤク)シカとあり、体格はエゾ、本島、ヤクの順に小さくなる。
エゾは気候の面から皮下脂肪も含めて体格が立派(動く範囲も広いのでしょう)であるとのこと。
角が4つに分かれるのは大人の証拠であり、エゾ・本島は4本(4岐)であるが、ヤクジカは3本。生まれて一年経つと1本、2年目にフタマタ、3年目でミツマタ、4年でヨツマタとなるそうです。
私が見たのは雄の大人だったということになります。
大変勉強になりました。係さん、ありがとう。
そのとき彼から聞いたのですが、今後ライオン、トラ等を飼い、動物園として拡大するそうです。
言い換えればバイオパークではなく、アニマルパークになって行くのでしょう。
今まで行ったことのある方も再スタートを楽しみにして下さい。
私も新しい方向を楽しみにしています。
22/3/10
桜は今が満開状態です。祭りは3月10日迄ですが、今が見頃でしょう。
話は変わりますが、
私にとってビックリするような方々が相次いで2組いらっしゃいました。
両かたとも私と同世代のご夫婦連れです。
最初のお方は常連さまで、もう何回となく泊まっていらっしゃるのですが、お帰りになる日ご主人が荷物を車に積み込んだあと、両手を振りながら背筋をピンと伸ばしスタスタ歩いているのを見かけました。
「良い姿勢ですね」と声をかけると、
「年をとると背中が曲がるので気をつけています」とのご返事。
「おいくつですか」
「63です」
そしてその先がすごい会話になりました。
「実は私は若い頃から柔道と剣道をやってまして、柔道は今まで乱取りだけですが、剣道は素振りと時には試合もやります。ですから体力維持の為に腕立て伏せは1日200回、50回を4度やります。
1度に100回は出来ますが、さすがに疲れるので4回に分けてます」ですと。
私は思わず「うーん」と唸ったまま、
「私は1回で5回できるかどうか」と、答えました。
彼のお言葉を大切にしてこれから私も頑張ります。
お二人目は70歳のご夫婦で「明日空いてますか」ということでお泊りなさいました。
翌日の朝、私が何気なく車を見ると、英語の記号と5~6桁の数字、そして下方に英語で何やら書いてある。
ちょうどそこへご主人がいらしたので、
「これは何ですか」と問うと、
「これは無線機ナンバーで、この英語は私共のことが書いてあります。」とのこと。
私が「ほーー」と言うと、
「この車の床下に無線機があり、設備費を含めると500万円位になります。今回大阪をスタートして北関東を走り回り、お宅で5日目です。」
更に付け加えて、
「今回は2000km走りますが、こんなことは度々で、その為に私は床の上で上半身越しを1日100回やってます。」
私は声も出なかった。
私は月に1度、東京のお寺さんまで27~80キロを往復する。片道4時間超である。最近までは家族を連れて往復運転したのだが、近頃は途中誰かに代わってもらう。疲れてしまうのだが、加えて涙目になりティッシュで拭きながら運転するのだが、それでも対向車のライトが眩しくて危険を感じるようになって来ている。
私も上半身運動をすることにしよう。