2階の増築は1階に遅れて3年後でした。
1999年、今から11年前である。2階の増築は3.5畳なのですが、それは1階にあるサンルームのガラス部分をよけたからでした。計11畳(2人用)です。開業して13年目に全室がサンルーム付となりました。
ある時、若い女性から電話が入り、「お宅はペンションですか、それともホテルですか」と聞かれたことがありました。その時私は「どちらかというとペンションの部類に入るでしょうけど、少し他のペンションとは違っています。インは宿という意味なんですよ。」と答えたことを今でも憶えている。
一方、インと称するからにはいろいろなお客様に対応しなければなりません。
それは、体の不自由な方(特に車椅子の方)へのバリアフリー化であり、ペット連れの方々への対応です。これほどのことはまた項を改めて書きたいですが(サニーステップの歴史)、バリアフリー化については結論を先に申し上げると、1997年に県から「やさしい町づくり奨励賞」をいただき、2002年には東京都指定「休養ホーム」となったのであります。
開業したての頃(26年前)はペンションだったが、10年経った時に「ウェルカム・イン」にした。
INNは宿という意味である。
ペンション業は私達よりも15年位前に始まっていたのだろう。だからペンションブーム後半に開業したことになる。
一番最初のペンションは軽井沢で開業されたそうだ。ホテルと旅館と民宿の間に割って入り、ひとつの宿泊業界を作ったのである。ブームの理由は、若い人たちにウケたからです。しかも白浜は海をかかえているので夏は絶好調であった。
23~4年前。看板は「PENSION」
昭和59年の夏に開業したが、その頃の白浜では私共が3軒目であった。
しかも全室バス・トイレ付は半島でも3軒しかなかった。
私共から遅れること5年後には白浜で20軒を超し、8・9年後には優に30軒を超したと親しい仲間から聞いていた。
ペンションとは本来「年金」を意味する英語であって、ヨーロッパを中心として年を取った年金生活者が空いた部屋を使って副業的に宿泊施設としたのが語源である。それが日本では老いも若きも本業としてブームを引き起こしていた。
私は43歳で始めていたが、若い人たちが経営するペンションと競争したくないと、50を越えた頃からつくづく思い始めていた。
創業時に借りたン千万返済期間は10年であったが、9年を過ぎた時、一括返済し、新たな構想のもと改めてまた借り直すことにした。
新たな構想とは、全12室の客室のうち、1階の5室に4.5畳をつぎ足して12畳とし、しかも屋根の一部に1畳のガラスを使ってサンルーフとすること、及びお2人でゆっくり入れる広さの部屋ごとの貸切風呂を別棟に作ることだった。
サンルーフ付12畳の部屋はペンションの域を脱しかけているだろうし、いずれ早期に全室そうすることにした。実際には3年後だった。
その頃、英会話塾に通っていたので先生ピーター(オーストラリア人、奥さんはサリー(日本人小百合))に相談をもちかけた。「何か良い名前を考えて下さい」
2ヶ月くらい経って「皆と話し合ったけど、Welcome Inn はどう?」
それから1ヶ月間、私の頭の中で「ウェルカム・イン」と繰り返した。馴れる為である。
そして開業した7月に向けて全ての広告、パンフ等に表示していったのであった。
今まで書いて来たことは白浜のことで、浜の由来・産業・風土等および下田のことであった。
一段落したことでブログが随分途絶えてしまいました。
これからは身近なことをバンバン書き出します。宜しく。
入り口から建物を見ると板一枚ずつ平らな屋根が左に行く程低くなっており、逆に庭側から見ると右へゆく程部屋が半間ずつ引込んでゆく。
つまり上から見ても横から見ても階段状になっている。
庭から見た階段状建物
土地を取得して設計段階に入った時、その頃通っていた喫茶店があった。私がペンション業を始めると知った常連の若者たちが名前を一緒に考え出してくれた。
下田市は「伊豆の太陽、下田市」と、今でも名乗っているが、私も心密かに「太陽」をこだわっていた。私にとって太陽は「希望」である。
それを皆にも話しておいた。
設計図面が出来上がり、そこに立体図面も描かれてあった。それを見た若者の一人が「高村さん、サニーステップはどうだろうか」と云ったのである。私は「アッ」と思い、即刻その名に決めた。
サニーステップとは希望に向かい一段ずつ階段を昇ってゆく意味を表しています。
(このときの若者には今でも会うと謝意を告げます。一方、下田市には移住して26年経つが、失望のし続けである。市民に対してなんら希望、夢を与えていないから。)
2009.12.30(平成21年)
ファミリーレストラン「すかいらーく」が全面撤退ということで、全国からなくなることを知って驚いている。「ガスト」「じょなさん」に転換するか廃店にしてしまうらしい。最盛時には750店あったそうだが、現在は150店。一方ガストは1200店。
その原因は客単価にあり、「すかいらーく」が950円、「ガスト」は750円。
今後予想される不景気の深刻化に伴い、前者の落込が予想されるからだそうだ。
「すかいらーく」150の内の一店が下田市にあり、市街地のはずれ下田湾を一望する絶好の場所にある。私の所から車で7~8分、一方「ガスト」もあり、それは反対側の河津にあり、所要時間は倍になる。
私たち一家も「すかいらーく」には行かず、遠くても「ガスト」に行く。
まさしく200円の節約が目的なのだが、4人分で計800円になり、その分女房は生ビールを一杯、私達3人は100円ドリンクを3人分頼んでいる。それに何よりも「ガスト」は商売熱心で、何時も新商品を開発しているのが魅力的だ。(それにもうハンバーグは飽きてしまったし)
下田白浜
サニーステップ 高村
11月10日から30日迄、旧天城トンネルを中心として「天城路もみじまつり」が、伊豆市と河津町のそれぞれの観光協会の提携で行われます。
興味のある方どうぞいらして下さい。
伊豆半島のもみじは長野、山梨、栃木県に比べると約1ヶ月遅れです。
しかも彼の県程素晴らしい景色ではありません。紅葉には寒暖激しいことが良いのですが、半島は全体的に温暖であるからです。
しかし「伊豆の踊り子」が歩いたとされる「旧天城トンネル」があります。
このトンネルは明治38年に竣工された珍しいもので、現在の国の重要文化財に指定されています。どうぞご覧下さい。
この期間中、車の通行は伊豆市側から南進のみの一方通行となります。
時間にゆとりのある方は歩いたらいかがでしょうか。観光協会がトンネル入り口で提灯を貸し出しています。私共にお宿りなさる方で、踊り子歩道を踏破(所要約1時間)なさりたい方は、出口まで御自分の車で行かれ、入り口へは私が車でお送りします。
詳細はお聞き下さい。
少しお腹がすきましたら、地元の老夫婦が経営する「大時茶店」にお寄り下さい。名物はとろろそばです。食べながら地元の話でも聞くと良いでしょう。なかなか物知りです。
下田白浜
サニーステップ 高村